会話と秩序


数日前、用事があって大阪の祖母の家に帰った。こなれた関西弁で、祖母はよく話す。

話したいところから捲し立てるようにして、聞き手のキャパなど気にせずに、とにかく話す。筋道立っていない上、いつまでも骨子に触れられないことも多く、話題の飛躍も激しい。自分は「さっきの話は今の話の後に起こったのかな」「AさんとBさんは親子なのかな」と白地図に要素をプロットし続けて、聞きながら随時組み替えていくのだけれど、大抵は膨大な入力の量に再構成が追いつかない。せめて肝心な部分だけでも… と質問をするのだけれど、またその会話の中で同じ事を繰り返してしまう。正直、まるで会話にならないこともある。

でも、祖母の話は素敵だ。
部分単位ではあるけれど、情景や感情がありありと想起される。マクロレンズの写真集みたいな感じ。

一方知り合いで、聞いていて関心するほど、本当に理路整然と話す人がいる。突発的に出た話題であっても、その話題が文脈のツリーのどこに位置しているのか、それが繋がる幹や枝の構造説明を (簡潔に) してから話す。驚くのは、話している最中に話題を飛ばす必要が出た場合でも、一息置いて今のツリーを拡張して、改めて全体の構造説明を挟む徹底ぶりだ。

聞き手としては何も困らないし、内容によらず、話の終わりに拍手したくなる。でもこちらはちょっと感情に欠けると感じることがある。

そもそも自分はひどく話が下手なのでどちらでも無いけれど、頑張って話すと、後者に近い。構造を伝えることと感情を伝えることは、線画と着色のようにステップを分けられるものだと思うので、両立も無理じゃない気がする。でも限られた時間や技術しか無い場合、ラフにでも色鮮やかに描くべき時に、写実的で正確な線画に拘ってモノクロになってしまうケースが、特に自分にはよくある。

例えば
「私は毎朝駅前の大通りを通学に使っています。そこに先週末から桜が咲き始めたのを、私は月曜日に目にしました。桜は5部咲き程度でした。花びらは道にも少しばかり落ちていて、色は白くて、とても綺麗でした。」
と言われても、全く綺麗な感じがしない。

対して、
「ポツポツ咲き始めてたよ!白いの!道にも舞ってて、すっごく綺麗だった!」
という話に、周りが「桜のこと?」とか「通りの向こうの学校に通っているの?」と質問を被せて、徐々に概要を明かした方が感情が伝わるし、会話としても楽しい。

この場合は「咲き始めの駅前通りの桜が綺麗だったよ!」と言えば両方満たすし、口調の差も大きいし、例えが稚拙で恥ずかしいけれど、端的にはこういうこと。崩すことによって正確な事実よりも、興奮が伝わってる。前者から後者の自動生成であれば、例えば新聞記事などから要素を抽出して組み替えることでいける気もするけど、人間がそのように振舞いを変えるのは結構難しい。

祖母の場合、流石に質問してゴールに行き着かないケースが多すぎるのでもう少しバランスは取って欲しいのだけれど… でも、まず自分がすべきは話の腰を折って要素の整理を試みるよりも、一緒に感情や情景の活きた会話を楽しめるようになることだなーと思ったのでした。

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ちなみに、前者のセリフはメタ視点な問題も孕んでいる気がする。端的に言うと「ひどい!」ではなく「これはひどい」と言うと伝わる感情が少し欠落してしまう、みたいな話。これも自分の話法で直したいところだけれど、混ぜると話がややこいのでまたいつか。