カウント
ジムでトレーニングをするとき、ざっくりと「今日の限界まで!」という決め方で望んでいる人はあまりいないと思う。マシンであれば「30kgで10回 x 3セット」とか、ランニングであれば「9km/hで30分間」とか、ある程度、数字で目標を立てておくのが普通だろう。体調によって実際の成果が上下することはあるにせよ、何かしらのゴールがないと何となく頑張りづらいものだ。
この「目標を立てる」というのは小学生の頃から慣れ親しんだ一種の自己実現方法だと思うが、それをより効果的にしているのが、遂行中の数えるという行為(進捗の客観視)にあると思う。数えるだけで、数えないよりも自分が余分に動ける。これが地味に不思議なのだ。そしてアホな仮定だけれど「数える」という発想そのものが無かったらどうなってしまっていたのだろうか、とよく思う。
例えば筋トレであれば1セット「10回」と決めたとして、もしその10という数がなかったとしたら、その手前でとっくにやめてしまっている気がする。10という数字があって、それがカウントできていることによって、たとえ7~8回のあたりで限界でも10までは頑張ろうと思える。無事に終えたとき、ああ、自分はカウントすることができて良かったなあと思う。
ランニングなんてもっと顕著だ。走り始めに「30分」と決めたら、たとえ25分の時点で限界を感じていても、なんだかんだ走り切れてしまう。その+5分は明らかに「最初30分と決めて、今25分間は既に走り終えていて、あと5分で目標達成できる」と確認する行為があっての成果だと言える。タイマーを眺めて、29:57… 29:58… 29:59… 30:00!! と切り替わった瞬間にガクッと脱力すると同時に、達成感を得られる。
この行動原理はイマイチ分からないのだけど、よく聞く「食べたもの(あるいはカロリー)を記録するだけでダイエットできる」みたいな話が、この根本にあるような気がした。ログをとることによって、客観的に一度自分を認識すると、体が勝手に頑張れるようになる。(無意識にでも)想像していた目標と、実際のズレを目の当たりにすることで、その差分を自ずと埋めようとしてしまうのではないか。
そんなことをぼんやり考えつつ、教室で出欠をとっている時にふと「日々実行していきたいあれこれ」を出席簿的に羅列した表を作ったら、ひょっとしたら効果的かもしれないと思った。縦に習慣化したいことをずらっと並べ、その日の終りに、今日できたことには◯(出席)、できなかったら/(欠席) の印をつけていく。そのログを眺めるだけで、多少それらが継続に向かう力が何かはたらくのではないか。TODOリストではなく、やったかどうかリスト。(いいからやれ)
この「目標を立てる」というのは小学生の頃から慣れ親しんだ一種の自己実現方法だと思うが、それをより効果的にしているのが、遂行中の数えるという行為(進捗の客観視)にあると思う。数えるだけで、数えないよりも自分が余分に動ける。これが地味に不思議なのだ。そしてアホな仮定だけれど「数える」という発想そのものが無かったらどうなってしまっていたのだろうか、とよく思う。
例えば筋トレであれば1セット「10回」と決めたとして、もしその10という数がなかったとしたら、その手前でとっくにやめてしまっている気がする。10という数字があって、それがカウントできていることによって、たとえ7~8回のあたりで限界でも10までは頑張ろうと思える。無事に終えたとき、ああ、自分はカウントすることができて良かったなあと思う。
ランニングなんてもっと顕著だ。走り始めに「30分」と決めたら、たとえ25分の時点で限界を感じていても、なんだかんだ走り切れてしまう。その+5分は明らかに「最初30分と決めて、今25分間は既に走り終えていて、あと5分で目標達成できる」と確認する行為があっての成果だと言える。タイマーを眺めて、29:57… 29:58… 29:59… 30:00!! と切り替わった瞬間にガクッと脱力すると同時に、達成感を得られる。
この行動原理はイマイチ分からないのだけど、よく聞く「食べたもの(あるいはカロリー)を記録するだけでダイエットできる」みたいな話が、この根本にあるような気がした。ログをとることによって、客観的に一度自分を認識すると、体が勝手に頑張れるようになる。(無意識にでも)想像していた目標と、実際のズレを目の当たりにすることで、その差分を自ずと埋めようとしてしまうのではないか。
そんなことをぼんやり考えつつ、教室で出欠をとっている時にふと「日々実行していきたいあれこれ」を出席簿的に羅列した表を作ったら、ひょっとしたら効果的かもしれないと思った。縦に習慣化したいことをずらっと並べ、その日の終りに、今日できたことには◯(出席)、できなかったら/(欠席) の印をつけていく。そのログを眺めるだけで、多少それらが継続に向かう力が何かはたらくのではないか。TODOリストではなく、やったかどうかリスト。(いいからやれ)