クズ期間

「全力で頑張らねば!」と思ったときの、休みの取り方が毎度難しい。「寝る間も惜しんで体力の続く限り」とかの頑張り方はせいぜい2日間が限界だ。1週間、1ヶ月単位ではそうもいかない。モチベーションも徐々に落ちてしまう。この場合、きちんと休憩の運用を考える必要がある。

仕事をしようと予定を空けていた週末、結局だらけてしまって作業も半端になり「こんなことなら最初から休めば良かった」という経験、在宅フリーランスに限らずよくあると思う。週末の個人的な用事なら「やっちゃったなー」と反省し平日また頑張れば良いが、自分の場合、これが仕事のリスクと直結してしまう。

この「自分が動いてほしくても動かない」状態を総称して「クズ期間」と呼んでいる。これは不慮の事故として処理するには再現性の高すぎる、目の避けられない自分の現象・性質であって、仕事のスケジューリングにおいても考慮せざるを得ない。妥当に見積もる必要がある。

例えば「1週間ぶっ通しで頑張れば終わる!」と7日間分の作業を1週間で見積もってはいけない。このくらいなら誰でも直感として分かるが、ならどの程度、どのような休みを挟めば自分は安定して稼働し続けられるのか。これを正しく見積もるのは本当に難しい。もちろん人によっても違うだろうし、その時の体調にも、メンタルにも、休みの取り方にだって影響を受けてしまうだろう。

特に「やばい!今回ばかりは本当に時間がない」とか「絶妙にズレて複数案件が被ってしまった!」という非常事態(と言いつつ日常になりがち)においては、小さな予定外の作業にすらヒヤヒヤしているものだ。特に後者の場合、正常進行していた案件に対してはとっくに罪悪感で胸が潰されそうな気持ちになっている。そんな中で休んだとて心から休まらないかもしれないが、それでも自分のクズ部分は不動のものとして存在している。いつか必ず意思に反して体は動かなくなるので、たとえ正当化が適わなずとも、休まねばならない。

効率が落ちていく可能性を無視して気力で走り続けていると、いつか動かなくなったとき、原因の分からなさからの罪悪感や、自尊心へのダメージがあまりに大きい。「やっぱり頑張れなかった」みたいな落ち込み方は負の循環を生むし、そこからの復帰にもまた無駄な時間がかかる。適切な休みを挟むことでそれは回避できたことだし、トータルで進む仕事も増えるので、休息の確保は「非常事態」への対応としても正しいはずだ。

もし「n日連続稼動すると、y%ずつ作業効率が落ちる」みたいな客観的なデータがあればどんなに救われるだろうと思う。「最高パフォーマンスで1ヶ月動くには、このスケジュールで休まないといけない」という、責任感を振りかざして休むことができる。でも実際はメンタル面の大きく作用する、極めて不確実な現象で、そこに自信を持って時間を割けないのが正直なところだろう。「お急ぎの所大変申し訳ありませんが、このままだときっと自分は動けなくなり、後々のプロジェクト進行への影響も予想されますので、明日は対応できません。」が果たして言えるだろうか。

ただ、こればかりは確固たる一般論があるわけでもないし、結局は他の作業と同様に、経験則からある程度余裕をみて見積もるしかないのだろう。意思が弱いと言われれば全くもってその通りなのだが、まずは一定のクズさを受け入れて、何度も想定と反省を繰り返すことが必要なのだろうと思う。