部活を頑張る子
昔から「部活を頑張る子は勉強も頑張る」とよく言われる。部活で忙しいはずのあの子に限って成績も優秀で、勉強にも手を抜かず頑張っている、というやつだ。それと比べて、何もせず暇を持て余しているのにお前ときたら… とこちらに飛び火する所までもがセットで思い出されるが、当時の彼らに抱いたのと似たような感情が、今再び、周りの育児世代を眺めていると蘇ってくる。
自分は年々歪みを増す自身のハンドリングにすら手を焼く一方だというのに、育児や家庭行事と並行して尚、文化的・社会的に目覚ましい活躍を見せる彼らは一体どう日々をやりくりしているのか。どんな道理で時間や気力を捻出しているのか。もう全く、皆目、見当がつかない。尊敬しているのはもちろん、あまりに想像が及ばなさすぎて、感覚としては摩訶不思議と表す方が近い。
でも自分自身でも、(ごく一時的に) 似たような不思議を経験した覚えがある。出張で忙しく、移動の合間を縫って仕事を進めた日の方が、何の予定もなく一日フルで作業に使える日よりも累計して進捗があったりするのだ。その実態に気付くと後者の自分は落ち込むわけだけれど、ふと冒頭の定説を思い出して、これはむしろ自然の道理で、仕方なのないことなのでは…?という屁理屈に逃げてしまう。
例えば忙しいとまとまった時間が取れないので、隙間時間でも成果が出るようにタスクを細分化したり、短い時間単位で集中せざるを得なくなる。結果としてポモドーロ・テクニックなんかで強制するようなタイムマネジメントが、自然となされているのではないか、という仮説。(それ以前に「時間がない」という現実から生まれる心理的な緊張感そのものが、あらゆる余念や煩悩を押し殺し、時間の密度を上げているのでは… という気もするが) よほどの忙しさでない限り、変に時間を作るより、むしろ予定を作って忙しさを上げた方が全体の生産高が上がるという状況も、わりとあることだと思う。
きっとどこかに「健康を保ちつつ生産性がピークになる忙しさ」というポイントが存在するのだろうけど、それは基本的に負荷のかかった状態なわけで、果たして継続してそんな状態でいたいかというと疑問が残る。特に自分は余裕の無さに対するテンパりラインが低く、それが分かりやすく周囲への迷惑として波及してしまうので、適度にぼんやりとできるくらいが丁度良いのだろうという自覚もある。とはいえタイムライン等で皆の常人ならぬ頑張りに日々触れ続けていると、じわじわと自尊心がしょげていくのを感じるが、そもそも他人の生産性にあてられて一喜一憂するのが虚しい。もっと超然としたい。