作業の比重

道筋さえ見えていれば純粋な作業としては1日とかからないはずの仕事が、色々悩んでしまって1週間かけても終わらないと、申し訳無さと不甲斐なさで気持ちが日に日に沈んでいく。そういう場合、大抵それは単なる作業ではなく、道筋を見つける事自体が仕事であると認識を改める必要がある。でも自分の受け取る対価が、作業自体よりも悩むことの方に比重があると認めることが、かなり難しいことだと今更になって思う。

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「デザイナー」という職業を思うと、想像する仕事は作業というより思考そのものである。受け取ったお題を整理したり膨らませたり、ビジュアルデザインであればモチーフや造形を検討したり。もっと広義のそれであれば新たな軸や視点を探したり。たとえ最終的な納品物がロゴであったとしても、その人の知見を踏まえた思考そのものに対価を払うイメージがある。名詞的に使われる「クリエイティブ」とも言い換えられる気がする。

一方で「映像制作業」、特に「CG制作業」を思うと、わりと想像する仕事はソフトウェアのオペレーションだったり、データ制作業務である。もちろん企画や監督がメインの人たちもいるしトータルでこなせる超人もいるけれど、職種全体のイメージとしてはせっせと撮影したり、編集したり、モデリングしたり、キーフレームを打ったりして、データとしての納品物を形作っていくイメージが強い。個人的にデジタルの大工・職人だと思っている節もある。

もちろん大抵の仕事はどちらか一方ではなく、あくまで比重が異なるという話なのだけど、その比重に職種のイメージを引っ張られるところがある。ひどく乱暴な言い方をすると、例えば同じ撮影でも映像カメラマンよりもスチールカメラマンの方が… あるいは同じCGでも3Dよりも2Dの方が… 世間一般から「作業」よりも「クリエイティブ」を求められる傾向があるように思う。(※本当に乱暴な言い方をしています、職種として作業量的に分業が前提となった結果、自分を出すことをあまり求められないという側面もあると思う)

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さて「映像デザイナー」と名乗っている自分は、「考えること」と「作業すること」の割合が半々くらいの仕事を頂くことが多い。でもどこかで、「作業」の側によって対価を正当化していた節があったのだなと思う。特に見積もりを作るとき、世間一般に倣って作業量を◯人日的な工数として算出するけれど、これは主に自分がソフトウェアを操作する手間と時間を想像してしまう。

ただ、技術や効率が上がるほど、同じ仕事であっても対価の比重が純粋な「作業」から「悩むこと」や「視座の提供」に傾いてくる。あるいは仕事のトンマナとして、ミニマルでシンプルなものが増えても結果として同じことになる。すると「作業分頂きます」に代わって「私の知見から考えうるもの、あるいは悶々と悩み試行錯誤することには価値があります」と胸を張って見積もりに示す必要があり、何を今更と言われそうだが、これが結構苦しい。

極端な例として、仮に1案作ってそれで一応形になっているとして、でも不安になって2案目、3案目… を作るとする。結果としてやっぱり1案目が良かったと確認するだけの作業になってしまったとき、それは質を担保するために必要な作業だったとも言えるけれど、個人的には最初から確信を持てない自分の未熟さを謝りたくなる。個人的な勉強代であって、逆に対価を頂くということに後ろめたさがある。また、特に大工側のつもりで見積もりを立て参加している仕事だと、自分のよくわからない悩みで工期が延びていることに自分自身が耐えられなくなってしまう。

アプリが高機能化したときの広告で「手間が減ることでクリエイティブに集中できます!」みたいな常套句があるが、個人的には仕事の純粋な作業部分にこそ救われている。仮に想像できた瞬間には完成している、という未来が来たときにには、きっと自分の純粋なクリエイティブ成分のみに値付けせざるを得ないことになる。真っ先にAIに駆逐される人種の発想だとは思うけど、いや末恐ろしい。



※フォロー(?) のために言っておくと、デジタル大工にだって創意工夫があり、作り上げるデータにプライドもあり、十分クリエイティブな職業だと思っている。大工が木材を知り工具の扱いを熟知するように、デジタルデータの特性や各種ツールに精通している。コーディングするエンジニアにも、要件定義されたお題に対して、その構造化や堅牢性に情熱を注ぐという意味で似たイメージを持っている。近年、分業制3DCGの職種がやたらと「〇〇アーティスト」と言い換えられるようになったのは、(本当に作家性の求められる役職もあるが) 単なるオペレーター的なイメージ払拭の意図もあるのかなと想像する。そしてFlash職人とは意味的にも心情的にも言い得て妙だったなと今になって思う。

※ 特に今の時代、最初から「作業量」のみで価値を正当化するのが難しい、写真やグラフィックを生業にする人は本当に尊敬の念に堪えない。のだけど、「作業楽そうですね」というニュアンスにならないようにそれを上手く伝えるのがいつも難しい。映像より純粋な作業量が遥かに多い写真やグラフィック仕事も無数にあるので、これも一概には言えないけれど...