仕事容量
なんとか今年もフリーランスとしての一年を無事終えられそうだ。五年目になり、人生で何度かあるフリー期の中でも気付けば最長になってきた。一重にこんな偏屈者と日々仕事してくれる人たちのお陰でしかなく、関わりのある人たちへの感謝に堪えない。
今年は自分にとっては珍しい、長期案件の多い年になった。年初にはその気配があったので、ついに見通しの立つ収入の中、絞られた数案件にじっくり取り組める一年になるのでは… と理想的な状況を目論むも、現実はそう上手くもいかず。常に一定量削られたリソースの中で、稼働の波を読みつつ、どう普段通りの小回りな仕事もやりくりするか… というあたりで思い悩むことになった。金銭面が持たないという以上に、お受けできずに切れてしまう縁が多くなってしまうことが想像以上に怖くなってしまった。
そもそも自身のキャパ限界が、課題として年々大きくなってきている。毎年新たな縁に恵まれ、少しずつ頼ってくれる人も増え、それは何より嬉しいことであるはずなのに、自分のキャパは一定であるが故に、相対的にお断りする数だけが増えていくことになる。自分などに頼ってくれるだけでも嬉しいのに、それを一度ならず二度三度もお断りするなんて、もう恩を仇で返すようで。あまりにお断りが連続してしまい、いっそ(まだ)知り合わない方が良かったのではないか…とすら思ってしまうことが実際に何度かあった。
おそらく数年続けた自営業としてはよくある状況で、周りで活躍する知人たちは自分どころではないはずだけれど、どう受け止めれば良いのか分からない。「機会があれば是非!」「またよろしくお願いします!」という挨拶も本心でしかないのだけれど、実際にご相談の大半はお受けできないような現状では、嘘をついて回っているようで心苦しい。
でも一歩引いて見たとき、本来スケジューリングの問題は機械的に解決されるべき事案だという気もしている。個人のキャパが決まっていて、仕事の内容とスケジュールが決まっているのだから、空いていれば入れるし、待てるのならズラせば良いというだけのことだ。飲食店の予約と変わらない。あまりに情がないように感じられるかもしれないが、この情こそが問題の根源である気がしてならない。
仕事を受ける/断るの判断に、個人の感情的裁量があると自分も相手も感じているから、申し訳無さや不義理の念を抱いてしまうのではないか。実際には依頼とスケジュールにただ身を委ねているだけで、その判断は極めて機械的に下されるはずなのだけど、つい自分も「頑張れば入れられるのではないか…」という気持ちを抱いてしまうし、相手だって何度か断られれば「あまり自分の仕事には前向きではないのだろうな…」と思ってしまうのも無理はない。互いの状況なんて知りようがないのだから。
一時はお断りのメールに消耗し続けてしまったのもあり、もはやGoogle Calendarを全公開して自分(の意思)を一切介さずに受注が成立すれば… と本気で何度も思ったけれど、実際どんな仕事だって要件もスケジュールもうねうねと変化し続けるわけで、決まった期間で決まった仕事… というのは残念ながら机上の空論でしかないのも分かっているつもりだ。(フリーランス新法とは)
内容で選り好みしているわけではない、という静かな免責のつもりでXのプロフに受注可能期間を入れるようにしてみたけれど、なんとも言えない香りを放っていて正直好かない。
内容で選り好みしているわけではない、という静かな免責のつもりでXのプロフに受注可能期間を入れるようにしてみたけれど、なんとも言えない香りを放っていて正直好かない。
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ご依頼頂く方々にとってはあまり心地の良い内容ではない気がしつつ、一旦今向き合っている状況について正直に書いてしまった。個人的に今は人を増やしたりする方向での解決は想像できず、むしろ適切に絞ることで周囲との関係を維持する方向はないのだろうか… などと虫の良い妄想をしてしまう。まだしばらくは上手にハンドリングできず、意に反してお受けできないことも多いかもしれないけれど、連絡をくれる人は皆神様なので、そこはどうかよろしくお願いします。そして来年、まるで仕事がなくなって必死に募集してたりしたらどうか笑ってやってください。